無の定義/年をとってからの運の掴み方

raphael人生, 今日をデザイン

老後が崩れる人は、50歳を過ぎても人生を意識して通るからなんです、自分がやらなきゃ自分がやらなきゃという人ほど、ありとあらゆる心配と苦労を考える。何も考えず「自然の神」に自分の天命を任せてみると、不思議に運勢を掴んでいけてしまう。

 

 

何も考えず「自然の神」に自分の天命を任せるというのは、「無」の境地になるのと同じです。無という状態が、人間の運命を最大に活かす武器になるわけです。

では無の心というのはどういう心なのか?

無というのは、決して欲を持っちゃいけないとかそういうものではないんです。無の状態の最大の掴み方というのは、45才ぐらいを過ぎたら老後や死のことを考えないことなんです。

40代50代になったら、老後をどうしようか、老後のためにちょっと貯金しておかなきゃならないとか、子どもたちが心配だとか、いろいろ考えるわけです。それが普通です。でも、あえて老後の自分を考えないこと。考えない代わりに、今、自分がやれることをやる、仕事があるならいつも通りやる、夫や妻に対しては余計な世話や心配はしない、子どもには自覚を持たせて口を出さない、

何にもしないというんじゃないんです、自分の役割は役割でしっかり守っていく、守っていくんだけど、「自分がやらないと・・」とか「なんでこうならないんだろう?」とか考えないこと。結果は神様に任せてみるという心境です。これが無の心。

でもこの方法は若いときに使ってはだめです、若い時に「無」になっては何も生まれない。

年をとるまでは一生懸命何かやってみるのです、「無」じゃなくて、意識してやってみる。そしてその時代を過ごしてから50歳ぐらいになって「無」の世界に入るんです。これが良い晩年の運勢の掴み方の条件になります。若い時の運の掴み方と、老後、年をとってからの掴み方とでは、掴み方が違うんです。

老後になってしまえば自然とそれなりにやっていける。人間というのは、そういう運の法則になっているわけです。人間必ず年をとる、一日一日あの世へ近づいてるわけですが、それを意識しないことです。